江戸時代における外国法研究

            東京大学東洋文化研究所教授 高見澤 磨

 江戸時代においては、二種類の外国法研究及び外国法の継受が行われた。第一は、徳川吉宗の時代以降の明律研究及び明律継受である。第二は、幕末の近代西洋法であり、その始まりは条約と『万国公法』(という書物によって知った一般国際法)とである。本班の任務は、これらを研究するための基礎となるデータベースを作成することである。
 吉宗は法制度整備に力を入れた将軍であった(紀州藩主の時代も含めて)。吉宗の時代以降、幕府御定書型の藩法または明律型の藩法が整備されていく(1)
 明律は、唐制にならって制定されたものである。但し、明律は唐律そのままではない。この異同は、明律起草にあたった人々にとっては立法上の実務的課題の成果(または残された課題)であったし、明律を基本的に継受して清律とした清代の人々にとっても同様であった。また、明律なり清律なりを整合的に運用しようとしたその時代の官僚にとっては、唐律の持つ高度な整合性を意識しつつ、自らの法典を理解しようとしたかもしれない。
 日本においては、唐にならっての律令制導入後、その運用のために明法家たちが解釈をほどこした。くだって江戸時代においては、江戸の漢学者・儒者たちが明律の知識を導入するための研究を行った。これらの営為の成果は、近代初期においてもう一度用いられることになる。すなわち、明治初期、近代裁判制度を導入しながらも、近代法典が未整備のときには、「条理」が適用された(条文もなく、慣習も認定できないときに)。「条理」とは法の一般原則であるが、近代西洋法の一般原則を示すスタンダード・テキストもない中では、明法家の著書や江戸時代明律研究の成果が用いられる場合もあった(もちろんフランス民法典など近代西洋法をテキストとして用いる場合もあった)。
 近代初期日本の司法のある部分は、江戸期の明律研究や江戸期まで生き延びた明法家の著作に支えられたのであった。江戸漢学と対話し、あるいはそれを通じて明と対話していたのであった。また、さらに唐とも対話していたのであった。このあり様を研究するためには、まず、唐明律の条文比較のためのデータベース、及び、明治初期までに成立した(できれば明治初期までに日本にあったことが証明できる)唐律及び明律(清律を含む)テキストのリストとしてのデータベースが必要となる。本班の現段階での成果はこのうちの前者にあたるものである。
 他方、東アジアの法制度を含む秩序システムに変化をもたらしのは、ウェスタンインパクトとしての主権国家システムを軸とする条約及び国際法(一般国際法)であった。17世紀に形成された、主権国家を軸とする国際法秩序についてのテキストは、まず、条約という形でもたらされた。17世紀におけるネルチンスク条約や18世紀のキャフタ条約、そして19世紀以降の諸条約である。こうした明示の合意としての条約だけではなく、19世紀になると一般国際法をも参照して国際関係を処理することで秩序を維持しようとし始める。極部分的ではあるが、まず、『海国図志』(但し、○○年の○○版以降)にヴァッテルのテキストの極一部分が漢訳される。より体系的には、1864年(表紙による。但し、董恂の序は同知三年十二月下旬なので西暦ではあけて1865年)の『万国公法』の漢訳出版である(2)。これらの漢訳書出版は日本・朝鮮に大きな影響を与えることになる。また、近代東アジアでは、国際法秩序を理解する過程で、春秋期の「国」際関係とのアナロジーが用いられることもあった。ここでも明律とは別の形ではあるが、近代初期において江戸期学術(漢籍を通じて海外事情を知るという営為は江戸前期よりあった)との対話や中国古代との対話があったのである。これらを研究するためには、まず上記ふたつの国際法テキストの基礎的研究が必要となる。また、1860年代までに結ばれた条約についての検討も必要となる。本班の現段階での成果はこのうちの前者にあたるものである。具体的には、ヴァッテル国際法テキストの対訳型データベース(フランス語原文、英訳、漢訳。漢訳は英訳版からの訳出である)である。この成果を応用すれば将来的には、『万国公法』対訳データベース、条約データベースなどの形成が可能になる。
 本班のデータベースについて、現段階では、本科研プロジェクトメンバーが研究・教育を行う場合の資源、あるいは、同様の意図(唐明律の条文比較を行う研究、欧文原文の概念と漢訳とを比較する研究、これらを示しての授業など)を持つ研究者・教育者による利用が考えられる。今後は、メンバーによる研究の進展とそれに合わせてのデータベースの進化とがあいまって、より大きな意味を持つものとなると考えている。江戸期〜明治初期における日本の学術、とりわけ漢字テキストを通じて知的世界をひろげるという営為とその継承としての近現代日本学術史にまで研究と資料蓄積とが一定の段階に至れば、日本近世・近代・現代文化史の重要な一側面を示すデータベースとなろう。
なお、唐明律比較についての具体的作業は清水裕子が行い、国際法対訳についての具体的作業は、西英昭の指示により鐘ヶ江靖史(東京大学大学院法学政治学研究科修士課程)が行った作業結果を清水裕子がデータベースの形に整理した。


(1) 江戸期明律研究については、高塩博「江戸時代享保期の明律研究とその影響」(池田温・劉俊文編『日中文化交流史叢書2 法律制度』(大修館書店、1997年)を参照した。
(2) 『海国図志』『万国公法』のテキストについての考察及びそれが中国の学術・政治にもたらした意義については、田涛『国際法輸入与晩清中国』(済南出版社、2001年)を参照されたい。但し、残念なことに同書は、佐藤慎一『近代中国の知識人と文明』(東京大学出版会、1996年)が参照されていない。


    東アジア近代初期国際法テキスト対訳データ