前 言


我が国の江戸時代は、中国の明代・清代の影響を受けつつ、独自の主張を展開した時代として知られています。
明代は、中国古代を総括し、それを基礎に宋代以来の学問の体系化が進みました。清代はそれを継承しつつ、考証学を生み出した時代です。そうした歴史的うねりを、我が国の先人たちはどう受け止めて咀嚼し、どのような展開をはかったのでしょうか。
本サイトでは、そうした先人たちのたどった道を、いくつかのテーマごとに、ご紹介しようと思います。
鎖国の時代というと、外国の影響がなかったかのようなイメージも作られやすいわけですが、ご存じのように、蘭学は西洋の知見を我が国にもたらしました。清朝との交易は、当地の新しい学問をすばやく我が国にもたらし、すぐさまその研究に着手させていたのです。
外国からしますと、「自分たちの影響が及んだ」と述べてすます立場も当然ありましょう。しかし、影響を受ける側に一定の文化的高まりと、受け入れようとする積極性がないと、影響なるものは素通りしてしまいます。そして、影響を受けた時点の高まりと積極性の基礎として、すでに独自な立場ができあがっています。
ヨーロッパなみの領域や多くの国の国家領域が念頭におかれ、そしてそうした領域をもつ国家の中央と地方の関係が議論される今日、多元的中央や、それぞれの中央の下の地方からの「まなざし」に、関心を向けることの重要性は、今後いやが上にも増していくことでしょう。
振り返れば、漢字ももともと殷や周という都市の文字でありました。それが周囲に広まり、さらには、同化を拒否する諸国にも伝播しています。影響の受け方もさまざまです。
我々の試みは、とても微力ですが、これを機に、我が国の中国研究に目を向ける方が増えれば、と願う次第です。
コンテンツはすこしづつ増やしていきます。